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先日京都へ取材で出かけていた。今回は台所道具のお店をまわって、お話をうかがう旅。お箸の店、市原平兵衛商店でうかがった話はわたしも少々責任を感じることだった。わたしを含む料理関係の人やスタイリストさんなどたくさんの人が市原さんのお箸を愛用し、ことあるごとに雑誌や本のなかで紹介をしている。それはとてもうれしいことなのだが、それを読んだ読者のかたが、お店に来ることなく、箸に一度もふれることなく、電話で注文をしてくることに抵抗があるという。誌面にはていねいに説明はされているものの、箸の先が思ったよりも鋭くとがっているとか、持ったときににぎりやすい太さであるかどうか、箸は手にとって口に運ぶものなので、とても繊細なもの。それを誌面とまったく同じものと言われても、そうですかと売れないところがあるという。だから毎回うるさいと思われるくらいに商品の説明をしてから注文をとるそうだ。
ある鍋を売る店では、職人である御主人と、お店に立つおかみさんのあいだで、こんなやりとりがあった。ていねいに細部まで手のこんだスタイリッシュなコーヒーポット。御主人は値段と商品がつりあわないほどいい作品だといい、おかみさんは形はいいけど、一度取っ手が火にかけたときにこげるとクレームがついたから、そこを改良しないと売りたくないといいだした。どちらもガンとして譲らない。2人の押し問答はかなり長い時間続いたが、結局、その取っ手に気をつけて使ってもらい、小さな不具合でもすぐに直すということになった。スタッフのひとりがポットを買いたいと言ったことからはじまったことだった。
いずれも作ること、売ることに自信があるからこその言葉だなと思う。わたしも日々使う道具は使い続けていくうちにあれこれ勝手が出てくる。自分の手にはどうしてもなじまなかったもの、買ったはいいけど出番のないもの。いろいろと試しながら一生かけて大切に使う道具に出会いたい。本を読んでくださる読者のかたには自分の使っている道具をすすめるのではなく、あくまでもわたしの使い方をお伝えしなくてはと思う。道具をみれば、その人の暮らしぶり、味の好みがみえてくるからたのしい。 |